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2019-01-24

いちごの季節に思うこと 〜エッセイ朗読動画〜 reading aloud

いちごの季節になりました。
私の祖母は、随分前に亡くなっているのですが、祖母はイチゴの栽培農家だったので、イチゴの季節になると祖母のことを思い出します。
思い出というのは、私たち一人一人が必ず持っている大切な財産だと思います。
その大切な財産を思いすきっかけになればと思って書いたエッセイです。

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【いちごの季節に思うこと】
先日、旅行に行った。
旅行から帰るとすぐに、父から電話があった。

「おう、おかえり! 旅行は楽しかったか」

少し酔っている。ふだんは無口な父のテンションが高い。

「ああ、楽しかったよ」

「楽しかったって、どう楽しかったんだ」

「まあ、楽しかったよ」

「まあって、お前……」

わたしは適当に返事をして電話を切った。

還暦をすぎた父は、なんだかんだと電話をかけてくる。
だいたい酔っている。酔っ払いの相手はめんどうだ。
わたしは本を読むのは好きだが、会話は得意ではない。
もともと父と一緒に住んでいた頃から、会話は少なかった。
わたしは「お婆ちゃん子」だったし、父とはそれほど仲はよくなかった。
だから、話すことは特にないのだ。

「お婆ちゃん子」で思い出したことがある。
祖母はいちご農家だった。

祖母とわたしたち家族は同じ県内だけど、違う市に住んでいた。
電車で一時間ぐらいの距離が離れていた。
小学校低学年の頃、週末になると祖母の家に泊まりに行った。
春はいちごの収穫時期なので、祖母と一緒にいちごのビニールハウスで収穫を手伝った。
いや、手伝ってはいなかった、かな。
わたしはいちごのビニールハウスの中で遊んでいた。

いちごは傷みやすい果物だ。だから、完全に熟す前に収穫する。
実が赤くなりかけたぐらいのタイミングで収穫する。それをパックに詰め農協に卸し、スーパーの店頭に並ぶまでには数日かかる。店頭に並ぶ頃、真っ赤に熟して食べごろになる。
つまり、ビニールハウスの中で真っ赤に熟してしまったいちごは、店頭に並ぶ頃には熟しすぎているので出荷できない。
わたしはビニールハウスの中を走り回り、真っ赤に熟したいちごを探しまわる。
真っ赤ないちごを見つけるとちぎり、走って祖母のところに持っていく。
小さな手のひらに大きく真っ赤ないちごを乗せて、祖母の目の前にかかげる。

「これ、真っ赤だよ! 食べていい?」

真っ赤ないちごは出荷できないので、その場で食べてもいいという、祖母とわたしだけのルールがあった。

「ああ、食べていいよ」

祖母は笑って、そう言った。わたしが持っていけば、必ず「食べていいよ」と言う。食べちゃダメと言われたことは一度もない。

わたしはゲーム感覚で真っ赤ないちごを探しまわり、祖母が「食べていいよ」と言ってくれたいちごを食べるのが楽しかった。
もぎたての真っ赤ないちごは新鮮で甘酸っぱく、美味しかった。
そしてなにより、幼かったわたしにとっては、自分で見つけ出したいちごを食べることが嬉しかった。
与えられたものではなく、自分で見つけ出したいちごは特別な味だった。
ビニールハウスで真っ赤ないちごを探し出す遊びは楽しかった。
そんな感じで、わたしは手伝いをするといいながら遊んでいたのだ。

いま思い返してみると、あんなにたくさん、真っ赤に熟したいちごがビニールハウスで収穫されずに残っていたのは不自然だ。
あれはきっと祖母が、わたしのためにわざと収穫せずにいたのではないだろうか。週末遊びに来る孫のために。
思い返してみると、わたしが見つけたいちごは、どれも大きかった。
収穫したいちごは大きさで”小”と”大”に分けられる。
大きないちごは食べ応えがあって味や見栄えが良く、農協に高値で卸せる。
祖母は、高値で卸せる大きないちごをわたしのために収穫せずに、残してくれていたのだろう。

幼いわたしは、じぶんで見つけ出したと思っていたのだか、本当は祖母が用意してくれていたのだ。

そういえば、わたしが本を読むのが好きになったのは、父の本棚にある本を読むようになってからだ。
父は読書家で、本棚にはたくさんの本があった。
わたしは父がいないときに、たくさんの本の中から面白そうな本を見つけ出し読んだ。
冒険小説や歴史小説に推理小説、伝記にエッセイ、詩集。
本はわたしに知らない世界を見せてくれた。本を読んでいる間は日常から離れて、別の世界にいるような気がした。
本から多くのことを学び、たくさんの知識を吸収し、夢の世界を見せてくれた。

もしかしたら、あの本は父がわたしに読ませるために用意してくれていた本なのかもしれない。
父の本棚には、若者向けの冒険小説などもあった。大人の本棚には不自然だ。
あれはきっと父が、わたしに読ませるためにわざわざ買って、本棚に置いていたのかもしれない。

じぶんで見つけ出したと思っていたが、本当は父が用意してくれていたのかもしれない。

わたしは自力でなんでも見つけ出し、じぶんの意思で選択し、成長してきたんだと思っていた。
しかし本当は周りの大人たち、祖母や父から導かれていたのかもしれない。

こんど酔った父から電話がかかってきたら、少しは話し相手になってみよう。
特に話すことはないのだけれど。




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